文化大革命時代を象徴する「四人組」(一)が失脚し、新しい改革開放の時代を迎えた。当時農村に下放された知識青年(二)たちは次々と都会に戻り始め、宝珠も一九七九年初め頃に両親が暮らす大都市・天津へと移り住んだ。
四年間働いた農村を離れてから、宝珠は大都会で仕事もなく、毎日自宅で人生に対して漠然と不安を抱えていた。
宝珠が農村にいた頃から政府において教育改革が行われ、文革によって十年間中止されていた大学入試も既に再開されていた。高校卒業後、すぐに農村に下方された宝珠には大学という選択肢はなかったけれども、農村にいる頃も宝珠の中では、大学生になる夢を捨ててはいなかった。都会に戻った今、大学にチャレンジするチャンスが巡ってきたのである。
両親をはじめ自分自身も「医学部に進学するだろう」と思っていた。しかし、皮肉にも農村での赤脚医生の経験が宝珠の考えを大きく変えていた。
高校卒業当初、政府の命を受け、大きな憧れを胸に農村へ行った宝珠だが、理想と現実のギャップがあまりに激しく、かなりの衝撃をうけたのもまた事実だった。人口四千人の村で多くの人を医療技術で助けることはできても、その 人々の貧しい生活を助けることもできなかった。 また、農村社会の理不尽で理解できない社会システムに大きな矛盾を感じていた。宝珠を救ってくれるはずの農村が結局は宝珠を苦しめ、そして医学の道を断念するきっかけになってしまった。
農村にいた最後の一年間、宝珠の愛読書は医学書から「世界通史」や「政治経済学」など社会問題の本になっていた。「社会の真理」というものはどこにあるのか?多くの疑問を持ったまま農村を離れたのだった。
「大学にはきっと私の疑問を解決する道がある!」そう強く信じ、両親や周りの反対を押し切り、こうして迷いの中で難関・南海大学経済学部に見事合格を果した。
南開大学経済学部には文化大革命の影響で長い間大学が開校されていなかったこともあり、クラスメイトは十六歳から三十歳と幅広い年齢層の七十名が集まった。
「ふぅ。難しいなあ」
机の上に無造作に置かれているマルクスの「資本論」。この分厚い本が現在の宝珠の愛読書だ。難解なこの本を何度も何度も読み返している。
大学生活は寮生活であったので、時間があれば他のクラスメイトと資本論について討論することもしばしばあった。とにかくクラスメイト全員が勉強することに対して大変意欲的であり、宝珠も負けじと朝から晩まで一所懸命に勉強に励んだ。
迎えた初めての夏休み。
「そうだ!この機会にもう一度農村に行って、みんなに会ってこよう。」
宝珠は懐かしい四川省へと向かった。
「みんな覚えていてくれるかなあ?」
不安を胸にバスから移り行く風景を眺めていた。
しばらくバスに揺られると、だんだんと見慣れた風景が目に飛び込んでくる。懐かしい風景が飛び込んでくると、自然と四年間の月日を過ごした日々が走馬灯のように思い出された。
肺結核の感染で苦しむクラスメイトの張小紅を助けるために党支部書記の楊書記にかけあい、ストレプトマイシンを大量に購入できたこと。薬が効かない肺病の呂仁をハチの子という民間伝承薬で助けたこと。足に傷を負った建斌を麻酔注射をし、傷口を丁寧に縫ったこと。
坐骨神経痛を患った王おじいさんに勉強を重ねて体のツボにビタミンB1を注射するという画期的な治療法を行い、見事に回復したこと。 思い返してみれば大変だったことも、現在となれば全てがいい経験となっていた。
実は今回、宝珠は事前に村に行くことを伝えていなかった。電話などの伝達手段が発達していなかったこともあるが、短い滞在時間で村人にあまり気を使わせたくないという気持ちが強かった。そのため、ちょっと立ち寄ったらすぐ帰るつもりだった。
村を散策し、数人の懐かしい人物に会った後、帰り際バスに乗り込む直前のことだった。
「待ってくれ!李先生」
振り返ると坐骨神経痛を治療した王おじいさんが大声を張り上げて近づいてきた。
「王おじいさん!」
びっくりした宝珠はバスのステップから降りるとおじいさんに駆け寄った。
「間に合ってよかった。李先生が村に戻っていると聞いて急いで来たんじゃ。あ、良かった。」
王おじいさんの後ろからまた一人、また一人とみな各自手にはおのおのがそろえた「おみやげ」を持ち現れた。
「みなさん。来てくれたんですか!」
懐かしい笑顔がうなずいた。
「そりゃあそうだよ、李先生。水臭いじゃないか、挨拶もなしにすぐに帰るなんて。」
王おじいさんがそう言うと、みんなが口々にうなずいた。
「こんなもんしかないけど、絶対に李先生に持って帰ってもらいたいんだ。」
そう言うと、鶏やら肉の燻製やら当時では高価といわれるものを片手に宝珠に駆け寄った。みな一斉に宝珠の軍用カバンに押し込もうとし、しまいにはカバンがはちきれてしまった。
「みなさん――――― !」
村人の温かさに宝珠は感動して声が出なかった。自然と涙がこぼれ、視界がにじんでいた。
「みなさんに会えたことが何よりのおみやげです。私もみなさんのこと一生忘れません!」
宝珠は涙声で最後の挨拶をすると、後ろ髪をひかれる思いで農村を後にした。
宝珠はバスに乗り込んだ後、一年も前に村を離れた自分を家族のように温かく迎えてくれた村人に感謝の気持ちでいっぱいだった。
ただ、村人の宝珠への信頼は昔と変わっていなっかったが、宝珠は自らの医学の道を断念し、経済学を選んでいたため、村人の信頼を裏切ることになったのではないか、と自問自答しながら…。
(一)中国の文化大革命後半において主導的な役割を担った江青、張春橋、姚文元、王洪文ら四人の政治局員のこと
(二)都市部の人が農村に住み込み、生産労働に携わった運動のこと。その中でも下放に参加した都市部の中高生を知識青年と呼んだ
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四年間働いた農村を離れてから、宝珠は大都会で仕事もなく、毎日自宅で人生に対して漠然と不安を抱えていた。
宝珠が農村にいた頃から政府において教育改革が行われ、文革によって十年間中止されていた大学入試も既に再開されていた。高校卒業後、すぐに農村に下方された宝珠には大学という選択肢はなかったけれども、農村にいる頃も宝珠の中では、大学生になる夢を捨ててはいなかった。都会に戻った今、大学にチャレンジするチャンスが巡ってきたのである。
両親をはじめ自分自身も「医学部に進学するだろう」と思っていた。しかし、皮肉にも農村での赤脚医生の経験が宝珠の考えを大きく変えていた。
高校卒業当初、政府の命を受け、大きな憧れを胸に農村へ行った宝珠だが、理想と現実のギャップがあまりに激しく、かなりの衝撃をうけたのもまた事実だった。人口四千人の村で多くの人を医療技術で助けることはできても、その 人々の貧しい生活を助けることもできなかった。 また、農村社会の理不尽で理解できない社会システムに大きな矛盾を感じていた。宝珠を救ってくれるはずの農村が結局は宝珠を苦しめ、そして医学の道を断念するきっかけになってしまった。
農村にいた最後の一年間、宝珠の愛読書は医学書から「世界通史」や「政治経済学」など社会問題の本になっていた。「社会の真理」というものはどこにあるのか?多くの疑問を持ったまま農村を離れたのだった。
「大学にはきっと私の疑問を解決する道がある!」そう強く信じ、両親や周りの反対を押し切り、こうして迷いの中で難関・南海大学経済学部に見事合格を果した。
南開大学経済学部には文化大革命の影響で長い間大学が開校されていなかったこともあり、クラスメイトは十六歳から三十歳と幅広い年齢層の七十名が集まった。
「ふぅ。難しいなあ」
机の上に無造作に置かれているマルクスの「資本論」。この分厚い本が現在の宝珠の愛読書だ。難解なこの本を何度も何度も読み返している。
大学生活は寮生活であったので、時間があれば他のクラスメイトと資本論について討論することもしばしばあった。とにかくクラスメイト全員が勉強することに対して大変意欲的であり、宝珠も負けじと朝から晩まで一所懸命に勉強に励んだ。
迎えた初めての夏休み。
「そうだ!この機会にもう一度農村に行って、みんなに会ってこよう。」
宝珠は懐かしい四川省へと向かった。
「みんな覚えていてくれるかなあ?」
不安を胸にバスから移り行く風景を眺めていた。
しばらくバスに揺られると、だんだんと見慣れた風景が目に飛び込んでくる。懐かしい風景が飛び込んでくると、自然と四年間の月日を過ごした日々が走馬灯のように思い出された。
肺結核の感染で苦しむクラスメイトの張小紅を助けるために党支部書記の楊書記にかけあい、ストレプトマイシンを大量に購入できたこと。薬が効かない肺病の呂仁をハチの子という民間伝承薬で助けたこと。足に傷を負った建斌を麻酔注射をし、傷口を丁寧に縫ったこと。
坐骨神経痛を患った王おじいさんに勉強を重ねて体のツボにビタミンB1を注射するという画期的な治療法を行い、見事に回復したこと。 思い返してみれば大変だったことも、現在となれば全てがいい経験となっていた。
実は今回、宝珠は事前に村に行くことを伝えていなかった。電話などの伝達手段が発達していなかったこともあるが、短い滞在時間で村人にあまり気を使わせたくないという気持ちが強かった。そのため、ちょっと立ち寄ったらすぐ帰るつもりだった。
村を散策し、数人の懐かしい人物に会った後、帰り際バスに乗り込む直前のことだった。
「待ってくれ!李先生」
振り返ると坐骨神経痛を治療した王おじいさんが大声を張り上げて近づいてきた。
「王おじいさん!」
びっくりした宝珠はバスのステップから降りるとおじいさんに駆け寄った。
「間に合ってよかった。李先生が村に戻っていると聞いて急いで来たんじゃ。あ、良かった。」
王おじいさんの後ろからまた一人、また一人とみな各自手にはおのおのがそろえた「おみやげ」を持ち現れた。
「みなさん。来てくれたんですか!」
懐かしい笑顔がうなずいた。
「そりゃあそうだよ、李先生。水臭いじゃないか、挨拶もなしにすぐに帰るなんて。」
王おじいさんがそう言うと、みんなが口々にうなずいた。
「こんなもんしかないけど、絶対に李先生に持って帰ってもらいたいんだ。」
そう言うと、鶏やら肉の燻製やら当時では高価といわれるものを片手に宝珠に駆け寄った。みな一斉に宝珠の軍用カバンに押し込もうとし、しまいにはカバンがはちきれてしまった。
「みなさん――――― !」
村人の温かさに宝珠は感動して声が出なかった。自然と涙がこぼれ、視界がにじんでいた。
「みなさんに会えたことが何よりのおみやげです。私もみなさんのこと一生忘れません!」
宝珠は涙声で最後の挨拶をすると、後ろ髪をひかれる思いで農村を後にした。
宝珠はバスに乗り込んだ後、一年も前に村を離れた自分を家族のように温かく迎えてくれた村人に感謝の気持ちでいっぱいだった。
ただ、村人の宝珠への信頼は昔と変わっていなっかったが、宝珠は自らの医学の道を断念し、経済学を選んでいたため、村人の信頼を裏切ることになったのではないか、と自問自答しながら…。
(一)中国の文化大革命後半において主導的な役割を担った江青、張春橋、姚文元、王洪文ら四人の政治局員のこと
(二)都市部の人が農村に住み込み、生産労働に携わった運動のこと。その中でも下放に参加した都市部の中高生を知識青年と呼んだ
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