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 連載コラム -赤脚医生- 【エフドットコム】 一億円の微笑み



1970年代、中国。
四川省の貧しい無医村に、一人の若い女医が誕生しました。


彼女の名前は李宝珠といい、独学で習得した医学を持って農村に入り、農作業を
しながら地域の医者としてたった一人、四千人の村で医療活動を始めました。
このような医者を中国では「赤脚医生」(せっきゃくいせい)と呼び、日本では
「はだしの医者」と訳されています。

彼女は村人の健康と幸せのため、細く痩せている体に大きな医療かばんを背負って、
毎日村落を駆け回り献身的に働き、村人との大きな信頼を得ている事となったのです。
そのときの「赤脚医生」李宝珠は、今、日本にいます。

国境を超え、より多くの人々に「健康と幸せ」を届けたい!そんな想いを胸に
力強く一歩を踏み出した「李宝珠」の感動のコラムをお届けします。

 



連載コラム 第7回

その昔、中国の寒村にたった一人の医師として奮闘していた十八歳の少女がいた。


豆乳粥を食べると、李宝珠は今でも大好きだった王さん夫婦を思い出す。当時まだ10代だった宝珠は、ふたりを「王おじいさん」「王おばあさん」と呼んでいたが、実際の年はまだ50歳を少し越えたくらいだったろうか。田舎で慣れない生活に戸惑う宝珠をいつも気遣い、何かと助けてくれた王さん夫婦は、宝珠にとって本当のおじいさん、おばあさんのような存在だったのだ。

「宝珠ちゃん、お腹すいたでしょう? すぐに豆乳粥を作るから待っていてね」

「王おばあさん、私も手伝うわ! 豆を取ってくればいい?」


「じゃあ、庭に生えているから、お願いするわね」


王さん夫婦の家は、宝珠の診療所から徒歩数分。穏やかでいつも笑みを絶やさない王おじいさんと、料理がとっても上手な王おばあさんは、子供がいないせいか、宝珠をまるで自分たちの子供か孫のように大切に世話してくれた。宝珠が家を訪れれば、それはすごい歓待ぶりで、いつも食事を振舞ってくれた。当時、食事といえばわずかなご飯と唐辛子だけ、肉なんてそれこそ年に1、2回しか口に入らなかった。王さん夫婦は自分達で大切に育てた野菜などを、宝珠に分けてくれるのだ。

「私、豆乳って大好き。甘くておいしいんだもん! 緑の色もすごくきれいだし!」


「そうでしょう。宝珠ちゃんが来たら一緒に食べようって、いつもおじいさんと話しているのよ」


取りたての枝豆は味も香りも濃い。まず、豆を石臼ですりつぶし、そこに水とご飯を入れてコトコト弱火で煮る。作りたての豆乳粥はもちろんおいしいが、宝珠にとって、王おじいさん、王おばあさんと三人で一緒に食べることがなにより嬉しかった。

それから数日後、王おじいさんが宝珠の診療所にやってきた。聞けば王おばあさんが胃痛で苦しんでいるそうだ。宝珠は急いで胃痛に効く生薬を何種類か調合した。西洋医学では食べすぎやストレスによるもの、もしくは胃酸過多と胃痛が生じる原因によって薬の調合が変わるが、東洋医学ではその人の体質に合わせて薬を調合する。宝珠は大好きな王おばあさんの痛みを早く治したい一心で、診療所を飛び出した。
しかし、王おばあさんの胃の痛みは一向に良くならなかった。宝珠は考えられる限りの原因を考え、何度も調合を変えたが、良い結果が現れない。2、3ヶ月経ち、王おばあさんは食欲すらなくなってしまった。

「こんなにひどい胃痛なんて聞いたことがない。これはもう成都の大病院にいくしかない」

肝臓がん――
これが精密検査の結果だった。当時の中国でがんは未知の病気で、認知度はかなり低かった。さすがの宝珠もがんは手に負えない。王おじいさんには、できるだけ分かりやすくどんな病気なのかを伝え、王おばあさんには王おじいさんから伝えてくれることになった。
それから王おじいさんは、いままで以上に必死に王おばあさんの看病を始めた。王おばあさんは痛みのために体を動かすこともままならない。王おじいさんは毎日朝から晩まで二人分の仕事をこなしていった。宝珠も毎日病院で出された薬を王おばあさんに注射しに行き、手伝いができることがあれば率先してやった。
 
そんなある日、宝珠が王さん宅のドアを開けると、王おじいさんがうずくまっているのが見えた。

「王おじいさん、一体どうしたの!?」


「ああ、宝珠…。足腰がまた…」


王おじいさんは以前から「坐骨神経痛」を患っていた。腰からもも、膝下までじんじんとする嫌な痛みと痺れに苦しんでいて、その症状が出る度に宝珠は王おじいさんの全身のツボに針を打ってあげていた。きっと看病の疲れでそれが再発したのだろう。宝珠はそう思い、王おばあさんに注射をしたあと、今度は王おじいさんの体中のツボに針を打っていった。しかし、今回は以前とは違い、全く効果が現れなかった。

「どうしてだろう。王おばあさんだけでなく、王おじいさんまで助けられないなんて!!」

宝珠は必死の思いで専門書をあさった。しかし出てくる記述は宝珠がすでに何度も読んで暗記している内容ばかり。そんなとき、たまたま《人民日報》にこんなニュースが掲載されていたのを目にした。ある大病院の先生が田舎で赤脚医生をしており、坐骨神経痛の新しい治療法を開発したそうだ。体のツボにビタミンB1を注射するという、東洋医学と西洋医学をうまく合わせた、まさに「中西結合」の画期的な治療法である。しかし、記事にはそれ以上細かい内容は載っていない。どれだけの量をどのツボに注射すればよいのだろう。宝珠はいろいろな本を調べ、おおよその答えは見つけ出した。

「大体の見当はついた。あとは試すだけだ。なんとしても王おじいさんを助けたい!!」


宝珠はビタミンB1液を手に入れると、早速殺菌した注射器にそれを入れ、来る日も来る日も自分の体のツボ数箇所に打ち続けた。

「ああああっ」

想像とは違う感覚。痛くはないが、異物が体内に入ってくるのがよく分かった。背中がぞくぞくする感じを受けたが、宝珠は毎日中断することなく、見当をつけたツボ全部に注射を打ち続けたのだ。そしてついに最後のツボに打ち終えた。様子を見て、異常がなければ、今日こそ王おじいさんのところに行ける―。

 その日の夕方、宝珠は王おじいさんに注射を打ちに行った。
「これで腰と足の痛みも痺れも治まるはずだから、少しだけ痛いのを我慢してね」

王おばあさんは心配そうにその様子をみていた。注射を打って一時間ほど過ぎた頃、王おじいさんは笑顔を取り戻していた。

「宝珠、だいぶ楽になってきたよ。注射のおかげだね。ありがとう」


「ほんと? よかった! 明日また打ちに来るから、今日はあまり体を動かさないでね」


王おばあさんのためにも坐骨神経痛が治りますように――。宝珠の願いが通じたのか、王おじいさんが足腰の痛みを訴えることは二度となかった。

王おばあさんの病気が良くなることはなかったが、薬と王おじいさんと看病のおかげが、大分痛みは落ち着いているようだ。それは雲ひとつない青空がきれいな日だった。王おばあさんはとても穏やかな表情で言った。

「宝珠ちゃん、今日はとても体調がいいの。久しぶりに3人で豆乳粥を食べましょう」


その日の豆乳粥は、今まで以上においしく感じた。

「きっと王おばあさんの病気も治るわ。だって、こんなに元気だもの」

 しかし、宝珠の思いは届かず、それが三人で食べた最後の食事になった。

 「おばあさんは宝珠にとても感謝していたよ。こんなに良くしてもらって幸せ者だねえ、ってよく話していたんだよ」

王おばあさんの葬儀が終わって次の日、王おじいさんはわざわざ宝珠の診療所を訪れてこう言った。宝珠は、もっともっと勉強して、今以上にたくさん人たちを病気から救ってあげるんだ、と心の中で誓った。
そのときの想いと、王おじいさん、王おばあさんの笑顔、三人で食べた豆乳粥の味は今も忘れることができない。


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●李宝珠 <リホウジュ>

中国四川省出身。中学時代から大病院で看護婦長の助手として、無償で働きながら医学を学ぶ。高校卒業後、人口4000人の寒村で働くことになるが、農作業の合間に怪我した農民の手当てや治療をしたことがきっかけで、農民から「赤脚医生」(=裸足の医者の意。地方で農作業をしながら医療活動を行う医者のこと)として絶大な信頼を寄せられるようになる。4年間にわたり、無医村であったその地でたった1人、内科、外科、産婦人科、小児科とあらゆる分野の医療活動を行った。
1993年にハチの子の健康食品を日本に紹介。その社会への貢献が認められ、2007年6月に元皇族伏見博士明殿下が総裁を勤める日本文化振興会より社会文化功労賞を受賞。現在、漢方の素材を使った健康食品を日本に販売する会社「(株)シンギー」の社長を務める。


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