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 連載コラム -赤脚医生- 【エフドットコム】 一億円の微笑み



1970年代、中国。
四川省の貧しい無医村に、一人の若い女医が誕生しました。


彼女の名前は李宝珠といい、独学で習得した医学を持って農村に入り、農作業を
しながら地域の医者としてたった一人、四千人の村で医療活動を始めました。
このような医者を中国では「赤脚医生」(せっきゃくいせい)と呼び、日本では
「はだしの医者」と訳されています。

彼女は村人の健康と幸せのため、細く痩せている体に大きな医療かばんを背負って、
毎日村落を駆け回り献身的に働き、村人との大きな信頼を得ている事となったのです。
そのときの「赤脚医生」李宝珠は、今、日本にいます。

国境を超え、より多くの人々に「健康と幸せ」を届けたい!そんな想いを胸に
力強く一歩を踏み出した「李宝珠」の感動のコラムをお届けします。

 



連載コラム 第8回 生薬を、求め、険しい山へ

その昔、中国の寒村にたった一人の医師として奮闘していた十八歳の少女がいた。


宝珠、念願の生薬採取へ 

李宝珠が村に来て1年が経った頃のことだ。宝珠はある決意を胸に秘めて、楊書記のところを訪れた。
「楊さん、この間からお願いしていることなんですけど……」

「ああ、宝珠。ちょうどお前のところに行こうとしていたところなんだよ。まあ、そんなところに突っ立っていないで、こっちに来て座りなさい」


 「この間からお願いしていたこと」――。それは、「自分の手で漢方薬を作りたい」ということだった。都会である成都にいたころは西洋医学一辺倒だった宝珠は、村での様々な治療経験を通して、漢方薬のすごさを痛感していた。知れば知るほど奥が深い漢方を、もっともっと勉強したい。暇さえあれば赤い表紙の漢方の専門書をめくり、生薬の名前や効能、どうやって調合すればいいのかを頭に詰め込んでいった。となると、次は実際に自分で漢方薬を作りたくなる。実物を目にしたい。においをかいで、手で触って、知識を一層増やしたい。それまでは専門の業者から漢方薬を買っていた宝珠だったが、「漢方薬を採取する場所に自分も連れて行ってくれないか?そして自分で作るのを許可してもらえないか」と、楊書記に頼んでいたのだった。

「生薬を採取する作業は男性がやる仕事だからね。宝珠にはキツイかもしれないよ」

「大丈夫! 足手まといにならないようにします! だからお願い!」

「そう言うと思ったよ。薬農家の銭さんにはもう話しているから、彼と一緒に生薬採りに行ってきなさい」


「本当ですか!? ありがとうございます! 診療所で漢方薬を作れるようになれば、きっと村の人のためにもいい結果になると思います!」


宝珠は早速、銭さんのもとを訪れた。銭さんは30代後半の男性で、代々の生薬農家だ。
「こんな痩せっぽちの女を山に連れて行くなんて‥。前代未聞だよ。」ぶつぶつ文句を言いながら、銭さんは3日後の出発に向けて準備をしていた。
 生薬の採取に行くと、2ヶ月は診療所に帰って来られない。宝珠は生薬を取るための準備と、自分が不在の間に急に容態が悪くならないように、今何らかの持病を抱えている村人の家を回り、必要な薬を渡していった。こうして3日間はアッという間に過ぎて行った。


道なき道を進む

トラックの中には銭さんを含む男性3人、女性は宝珠ともう1人。この5人が、これから2カ月間、ともに寝起きをし、生薬を採取するメンバーだった。村を出発したのはまだ夜も明けない頃で、生薬を採取する山玉渓山に着いたのは昼過ぎ。トラックが何度もバウンドするデコボコ道を何時間も走ってきたので、トラックが止まったとき宝珠はホッと息をついた。

「ここからはトラックが入れないので歩くから」

銭さんの指示に従い、宝珠はトラックから飛び降りた。幹がまっすぐ伸びた背の高い木が生い茂り、空は小さくしか見えない。時折、鳥の音が聞こえるくらいでシーンと静まり返っている。宝珠は自分と同じくらいの重さがある米袋を背中に背負い、銭さんの後ろを付いて行った。ほかの4人も、各自米の袋を背負っている。それらがこれから2ヶ月間の貴重な食料になるのだ。

 太陽が沈むころ、山小屋が建ち並ぶ一角にようやく宝珠たちはたどり着いた。粗末な作りの小さな小屋がズラリと並んでいる。そこは灌がい工事が行われている場所でもあり、小さな小屋は作業員が寝起きする建物なのだ。その1つが宝珠達の住まい。小屋の中は狭く、板で作った今にも倒れそうな二段ベッドが並ぶ以外何もない。しかし「いよいよ明日から念願の生薬の採取ができる」と思うと、宝珠の胸は高まるのだった。


翌朝の出発は朝6時だった。小屋からさらに数時間登った場所が、生薬が生えているところなのだ。軽くご飯を食べ、銭さんを先頭に目的地に向かった。まさに"道なき道"で、銭さんが長いナイフを振り回し、道を作っていく。山道に慣れた銭さんの足は速い。草をかきわけ、岩を這い登り、何度も足を踏み外しそうになって恐怖で叫びだしそうになりながら、宝珠は必死で着いて行った。
 目的地に着くと、今度は日没が近づくまで生薬を見つけ、採取していく。

「ほら宝珠、これが天門冬。そしてあれは玉竹参。丁寧に採ってくれよ」

 銭さんの指差すものを、宝珠が採る。

「実物はこんな形しているんだ……。やっぱり本だけじゃ分からない。来てよかった」


そう思いながら、背中に背負ったカゴに次から次へと生薬を放り込んでいった。宝珠にはほかの草木と区別がつかないのに、銭さんは「アレを採って」「ソコに生えているよ」と簡単に見つけ出す。そのことに感心しながら採取していると、あっという間に夕方になり、また道なき道を戻る。毎日がその繰り返しだったが、宝珠にとってはこの上ない貴重な時間だった。新しい生薬を教えてもらうたびに、喜びで一杯になるのだ。


村人のために生薬を学びたい!

小屋に帰ってから、ときどき"ミニ勉強会"のようなものも開かれた。講師は銭さん。生徒は宝珠だ。

「この白い透明の果物みたいなのは天門冬。肺を清める効果があって喘息や肺の病気にいいんだよ。よーく乾燥させて使うんだけど、食べると甘みがあって美味しいんだ」

「天門冬の漢方薬は診療所でもよく使っていたわ。でも本物はこんな形をしているのね……。銭さん、この紫色の花が付いたのは、もしかして紫苑?」


「そうそう。それもせきや喘息に使うものだね。玉竹参は節があるのが特徴だよ。なんとなく竹に似ているだろう?」

「それもやっぱりせきやタン、喘息の生薬ね」


「穿山龍はすごく珍しい生薬だよ。慢性リウマチや関節炎、甲状腺機能亢進症などに効くね」

「これ、掘るの大変だった。硬い根っこみたいなんだもん。このツルのようなのは鶏血藤よね? 
血流をよくして補血もできる生薬でしょ?」


短いときは5〜10分。長くても30分ほど。宝珠が分からないことを聞き、銭さんが生薬を手にして説明してくれるこの"ミニ勉強会"は、後ほど宝珠が自分で漢方薬を作るようになってから非常に役に立った。文化大革命が終わり、赤脚医生として過ごしたときから何十年と経った今でも、宝珠はこのときの景色をありありと思い出すことができる。
 山で過ごした2カ月の間には、無理をして山道を登ったからか、宝珠のひざがパンパンに腫れ、水がたまり、痛みのあまり歩けなくなることもあった。穿山龍にアリを混ぜて作った即席の漢方を飲み、1週間ほど休んだが、宝珠は少し腫れがひいた状態で生薬採取の作業を再開した。
「ひざの痛みなんかに負けてられない。この機会を無駄にしないで、しっかり漢方薬のことを覚えなきゃ。村の人たちのためにも……」
 宝珠の頭の中には、いつもその考えがあった。

(つづく)


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●李宝珠 <リホウジュ>

中国四川省出身。中学時代から大病院で看護婦長の助手として、無償で働きながら医学を学ぶ。高校卒業後、人口4000人の寒村で働くことになるが、農作業の合間に怪我した農民の手当てや治療をしたことがきっかけで、農民から「赤脚医生」(=裸足の医者の意。地方で農作業をしながら医療活動を行う医者のこと)として絶大な信頼を寄せられるようになる。4年間にわたり、無医村であったその地でたった1人、内科、外科、産婦人科、小児科とあらゆる分野の医療活動を行った。
1993年にハチの子の健康食品を日本に紹介。その社会への貢献が認められ、2007年6月に元皇族伏見博士明殿下が総裁を勤める日本文化振興会より社会文化功労賞を受賞。現在、漢方の素材を使った健康食品を日本に販売する会社「(株)シンギー」の社長を務める。


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